美少女ゲームソングのデビューは
『あいかぎ2 ~濡れた髪が乾く前に~』(F&C FC02)のOP曲『きっとずっと…もっと』
でも、そのあとすぐにタイアップがなくなるんです。
本格的に仕事が入ってくるのは2008年9月発売の
『音速飛翔ソニックメルセデス ~双子ヒロイン調教指令!~』(ルネ)で
そこからエウシュリーさんやシルキーズさんからもお仕事をいただくようになります。
この頃からハードロック系の楽曲がメインになるんですけど
もともとロックやメタルも好きだったんですよ。
だから萌えソングや電波ソングなどを1周回って戻って来たという感じ(笑)。
ただ、私の中で、美少女ゲームと言えば萌えソング、電波ソング、王道バラードって感じだったから
『あいかぎ2 ~濡れた髪が乾く前に~』(F&C FC02)のOP曲『きっとずっと…もっと』
でも、そのあとすぐにタイアップがなくなるんです。
本格的に仕事が入ってくるのは2008年9月発売の
『音速飛翔ソニックメルセデス ~双子ヒロイン調教指令!~』(ルネ)で
そこからエウシュリーさんやシルキーズさんからもお仕事をいただくようになります。
この頃からハードロック系の楽曲がメインになるんですけど
もともとロックやメタルも好きだったんですよ。
だから萌えソングや電波ソングなどを1周回って戻って来たという感じ(笑)。
ただ、私の中で、美少女ゲームと言えば萌えソング、電波ソング、王道バラードって感じだったから
最初は戸惑いもありました。
そんな中で自分のスタイルが確立できたなって思ったのが
『蒼海のヴァルキュリア ~孤高の皇女ルツィア~』(アナスタシア)のOP『深海のメビウス』
重めのロックでヴォーカルも低めで、「これ、いけるんじゃない?」って。
自然に歌えて、自分の中でしっくり来たんです。
この時に「オリヒメヨゾラ」ができたかなって思いました。
そこからは順調にお仕事もいただけるようになったので
あの曲がターニングポイントになったと思っています。
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──新人や若手の活躍する場所を作りたい! P.C.M.Live!!という夢舞台
私がデビューした2006年は、実は美少女ゲームの売り上げが下がり始めた時期だったんですね。
それから5年くらい活動をしたころ、私の次の世代がほとんどいないことに気づいたんです。
先輩ばかりで後輩がいない。
その頃、同期にも仕事が回ってこなくなって、辞めていく人が増えていました。
美少女ゲームソングは宣伝の重要なツールでもあるので
メーカーも人気のある歌手に依頼する傾向が強まって
若手や新人を育てる余裕がなくなってきていたんですね。
しかもその頃にはDreamParty(※)のような、新人が目指すステージが
あるような大型イベントがどんどんなくなったんです。
そうなると、結果として新人や若手が他のメーカーの方に
歌を聴いてもらえる場所がどんどん減ることになる。
それから5年くらい活動をしたころ、私の次の世代がほとんどいないことに気づいたんです。
先輩ばかりで後輩がいない。
その頃、同期にも仕事が回ってこなくなって、辞めていく人が増えていました。
美少女ゲームソングは宣伝の重要なツールでもあるので
メーカーも人気のある歌手に依頼する傾向が強まって
若手や新人を育てる余裕がなくなってきていたんですね。
しかもその頃にはDreamParty(※)のような、新人が目指すステージが
あるような大型イベントがどんどんなくなったんです。
そうなると、結果として新人や若手が他のメーカーの方に
歌を聴いてもらえる場所がどんどん減ることになる。
この状況はまずい!と思って、「新人とベテランが一緒にステージに立てるライブを作ってください」
と、佐藤ひろ美さんにお願いに行ったんです。
「毎回新人枠を設けて、招待したメーカーさんに聞いてもらえるライブをやってください」
「ひろ美ねえさんがやれば、みんなついてきます!」って。
そうしたら「私もそう思っていた。でもあなたがやりなさい」って(笑)。
デビュー5年目の歌手がやって成功するわけないじゃないですか。
でも、「協力はするから」って。
「このイベントをやったら、5年後にやってよかったと思うはず」
「でも、やらなかったらあなたは5年以内に消えます。自分のためにやりなさい」って
占い師みたいなことを言われたんですよね。
それで実際にひろ美さんをはじめ、たくさんの人に協力していただいて
もう7年続けられています。
と、佐藤ひろ美さんにお願いに行ったんです。
「毎回新人枠を設けて、招待したメーカーさんに聞いてもらえるライブをやってください」
「ひろ美ねえさんがやれば、みんなついてきます!」って。
そうしたら「私もそう思っていた。でもあなたがやりなさい」って(笑)。
デビュー5年目の歌手がやって成功するわけないじゃないですか。
でも、「協力はするから」って。
「このイベントをやったら、5年後にやってよかったと思うはず」
「でも、やらなかったらあなたは5年以内に消えます。自分のためにやりなさい」って
占い師みたいなことを言われたんですよね。
それで実際にひろ美さんをはじめ、たくさんの人に協力していただいて
もう7年続けられています。
※『DreamParty』
通称ドリパ。主に美少女ゲームを取り扱ったキャラクターグッズの総合展示会。
2003年から2013年まで開催されていた。
ステージイベントもあり、出展企業の新作タイトルの主題歌発表を中心に行っていた。

──オリヒメヨゾラの6年と、Ayumi.になっての5年
オリヒメヨゾラとして活動していた時期を振り返ると
もちろん辛いこともあったけれど、やってきてよかったと思っています。
黒歴史とかじゃないです(笑)。
今の活動があるのは、オリヒメヨゾラ時代があるからだと思っているんです。
低音ヴォーカルのハードロックというかたちを作れたからAstilbe x arendsiiのような
ユニット活動もできていますし、『花の野に咲くうたかたの』(あっぷりけ)の
OP『華暦』のような歌に出逢うこともできたと思います。
やっぱり繋がっているんですよね。
もちろん辛いこともあったけれど、やってきてよかったと思っています。
黒歴史とかじゃないです(笑)。
今の活動があるのは、オリヒメヨゾラ時代があるからだと思っているんです。
低音ヴォーカルのハードロックというかたちを作れたからAstilbe x arendsiiのような
ユニット活動もできていますし、『花の野に咲くうたかたの』(あっぷりけ)の
OP『華暦』のような歌に出逢うこともできたと思います。
やっぱり繋がっているんですよね。
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──そしてラストライブへ
結局40曲を超えてしまって、バンドメンバーには申し訳なかったんですけど(笑)
私としては特に意気込んでライブに望むっていう感じではありませんでした。
毎日の音楽活動の延長線上に、たまたま今回のライブを開催するって感じ。
これで私自身が歌手を辞めるわけではないし
オリヒメヨゾラ曲を一切歌わなくなるってわけでもないと思います。
もちろんひとつの区切りではあるんですけど、どちらかというとお祭り的な感覚ですね。
私がデビューしてからここまで一貫しているのは
「好きなものを好きと言って好きなことをやる」ってことなんです。
これまでもずっとその思いでやってきたし、これからも変わらないと思います。
私は美少女ゲームが大好きで、美少女ゲームソングが大好きだから
自分のやれる形で美少女ゲームを盛り上げていきたいと思っています。
ただ、そうですね……今回のライブを準備している中で
オリヒメヨゾラ時代を振り返ることもあって
たくさんの方にお世話になってきたなと改めて思っています。
そんな方々に、これからもいろんな形で恩返しができればいいなって思っています。
私としては特に意気込んでライブに望むっていう感じではありませんでした。
毎日の音楽活動の延長線上に、たまたま今回のライブを開催するって感じ。
これで私自身が歌手を辞めるわけではないし
オリヒメヨゾラ曲を一切歌わなくなるってわけでもないと思います。
もちろんひとつの区切りではあるんですけど、どちらかというとお祭り的な感覚ですね。
私がデビューしてからここまで一貫しているのは
「好きなものを好きと言って好きなことをやる」ってことなんです。
これまでもずっとその思いでやってきたし、これからも変わらないと思います。
私は美少女ゲームが大好きで、美少女ゲームソングが大好きだから
自分のやれる形で美少女ゲームを盛り上げていきたいと思っています。
ただ、そうですね……今回のライブを準備している中で
オリヒメヨゾラ時代を振り返ることもあって
たくさんの方にお世話になってきたなと改めて思っています。
そんな方々に、これからもいろんな形で恩返しができればいいなって思っています。
2006年10月27日にF&C FC02から発売。
●担当曲
OPテーマ『きっとずっと・・・もっと』
EDテーマ『さくらエピローグ』