2018年12月3日 公開日

minoriのプロデューサー、nbkz氏にインタビュー! 最新作『その日の獣には、』1月25日発売!

最新作『その日の獣には、』の発売を間近に控えたminori。 今回は、プロデューサーのnbkz氏にブランドの歴史とこれからのminoriについてお話を伺った。

モニター販売について

minori様インタビュー掲載を記念して2019年1月25日発売の「その日の獣には、」のモニター販売を実施いたします。
新製品モニターとして【シンプル版】を7,000円(消費税・送料込)でお求め頂けますのでこれを機に是非お求めください。

本フォームでご応募頂き、担当者からメールで連絡し決済等の手続きを進めさせて頂きます。
なお、応募多数の場合は抽選とさせていただきますのでご了承ください。

応募締切は2019年1月18日(金) 24時まで

デビュー作の『BITTERASWEET FOOLS』は、様々な人の協力で作られました。

──minoriさんのデビューは2001年ですね。

nbkz:2001年8月ですね。よくもここまで続いてきたと思います。
潰れるチャンスは何回かあったんですけどね(笑)。


──これはどういう経緯で立ち上げられたんですか?

nbkz:『BITTERSWEET FOOLS』を制作することになったので、立ち上げたのですが、
これは想定外でした。


──詳しく教えてください。

nbkz:当時僕はマンガズー・ドット・コムという会社にいて、
漫画関連のウェブサイトの制作と編集をやっていたんですが、毎年赤字を計上していたんです。
今では当たり前となった広告モデルがまだ機能していなかったので仕方無い時期でした。
いずれ資本が尽きてしまうので、会社としても他の事業を模索していました。
ちょうどその頃、MANGAZOOの同人誌を扱う記事で知り合った
相田裕さん(http://www.remus.dti.ne.jp/~jewelbox/)
が原画を担当していた美少女ゲームが、いろいろな事情から頓挫していて、
「これを何とかできないか」って相談されたんです。
詳しく聞くと「プロットとキャラデザインはある」と。
それで他に必要なスタッフを集めて制作することになったんです。


──それまで美少女ゲームを製作された経験は?

nbkz:ないですね。美少女ゲーム以外のゲームを経験したことはありましたが、
美少女ゲームは未知の領域でした。
でも、せっかく知り合った仲で、困っているのを聞いてなんとかしたいなぁと思った気がします。
その頃僕は社内では部長扱いである程度予算を動かせたこともあり、
その中の一部をこっそり使って、とりあえず会社にプレゼンできるところまで
作ってしまおうと始めたんです。
そこまでいけば会社に通せますし、通らなかったら独立して作ればいいやって。


──すごい背負い込み方ですねえ(笑)。

nbkz:社内ベンチャーというのも流行ってましたし、まぁなんとかなるだろうと(笑)。
どちらにしても、会社は毎年赤字を計上していましたから、
何か利益を出すものが必要なんじゃないかと思っていました。
ある程度、見せられるものを作っておいて、当時の副社長にプレゼンしました。
「それ、もうかるの?」「それなりには」「で、もういくら使っちゃったの?」
「700万くらい」「そうかー、じゃあやろうかあ」みたいな感じで、
意外とするっと通ってしまって、どうしたものかなぁと(笑)。


──なんかもう、言葉もないんですが……。

nbkz:そうでしょう(笑)。2000年の夏くらいで、年末少し前から実制作に入り、
8ヶ月くらいの制作期間でリリースしたと思います。
ただ、美少女ゲーム業界にツテなんかないので、
なにもかも手さぐりなんですよ。それでコミティアで当時『電撃姫』にいたTさんに
「何とかしてくれ」って泣きついて。それでTさんが他の雑誌編集者を紹介してくれて、
そこからはわらしべ長者方式ですよ。「〇〇さんから紹介されたんですけど」って電話をして、
つながりを広げていきました。こうしてできたのが『BITTERSWEET FOOLS』です。


──『BITTERSWEET FLOOS』は発売当時、独特の作品性で話題になりましたよね。

nbkz:それは僕が美少女ゲームの作り方を知らなかったから、他と違うものができたんです。
実際にプレイしたのも『雫』と『痕』くらいしかなかったですし。


──制作はどのように進められたんですか?

nbkz:二毛作でしたね。昼間はウェブサイトを作って、夜に制作進行をする。
プログラムはウェブサイトを作っていた人間が本を片手にプログラムを組んでいたし、
グラフィックは他の会社で働いていた結城辰也(https://www.pixiv.net/member.php?id=27691)を
連れてきて。音楽に関しては付き合いのあった編集者が知っていたツーファイブを
紹介してもらったし、背景の会社もそうですね。みんな人づて。
紹介でできたのが『BITTERAWEET FOOLS』なんです。

──でも、優秀なスタッフが集まりましたよね。
OPムービーは新海誠(http://shinkaimakoto.jp/)さんでした。

nbkz:『BITTERSWEET FOOLS』が動く前に赤字対策でいくつか事業を動かしていたんですが、
そのひとつにストリーミング配信事業がありました。
そこで流せるものを探しているときに、
プロジェクトチームDoGA主催の第12回CGアニメコンテストでグランプリを獲得した
新海誠さんと会ったんです。『彼女と彼女の猫』(http://www.kanoneko.com/
の時ですね。当時、確か映像の入ったディスクを手売りされていて、
さすがにそれもきつかろうと思い、配信と通販のセットでお話をさせて頂いたんだと思います。
で、そんなこんながあったんですが、新海さんが、次作「ほしのこえ」の制作に
集中するからということで、会社をお辞めになったんですよ。
で、まだまだ時間がかかりそう……という感じだったので、
その間に何らかの仕事を発生させてお金を払わなきゃ! と思ってて、
「じゃあ、このゲームのムービーを作って」と、切り出したんだと思います。
当時、オープニング映像は必要というものの、どんなものが時流なのかまったくわからないので、
とりあえず「こうかな?」くらいの手探りでやった記憶があります。
美少女ゲームの素人が集まってやってたから、
あぁいった形のものになったのかもしれませんね(笑)。
売り上げ自体はだいたい1万本くらい。
デビュー作としてはまぁまぁいけたんじゃないかなぁと思いました。

(efシリーズは)最初から漫画・アニメ・ゲームの三本柱で動かそうと決めていました。

──その後、2002年4月に『Wind -a breath of heart-』、2004年7月に『はるのあしおと』
と、連続でヒット作品をリリースされます。

nbkz:『Wind -a breath of heart-』は3万本くらい売れました。
でも、この時はまだ僕はウェブサイトも作っていたんですよ。
昼から取材やウェブ制作をして、夜はゲーム制作でしたね。
ところがこの『Wind -a breath of heart-』で、僕がゲームの作り方を知らないことが露呈したんです(笑)。
いや、笑ってる場合じゃないんですけど。
というのも、このゲームは共通ルートのあとにヒロイン5人のルートに分岐するんですが、
共通ルートの分量に対して、ヒロイン5人分で共通ルートより
ちょっと多いくらいの分量しか用意してなかったんですよ。
つまり、個別ルートがそれぞれとても短くて駆け足になってたんですね。
個別バラバラで読んでいて気づいていなかった。
今となっては当たり前のことすらわかっていなかったわけです。
それで、実際どのくらいの比率になっていれば気持ちよく読めるのか
考える時間が必要になったわけです。
そして、3本目『はるのあしおと』を制作しました。


──では、『Wind -a breath of heart-』から『はるのあしおと』まで、2年以上空いているのは……。

nbkz:美少女ゲームの作り方を一から勉強しなおしていたんです。
こんな状態で3万本売れちゃったのは、後にしてみればずいぶん恥ずかしい話ですよね。
ほんと自身は反省しか無いんですが、いいこともありました。
『Wind -a breath of heart-』が売れたおかげで、社内に「ソフトウェア事業部」が新設されました。
それまで「制作部」というWebからゲームからシステムまで何でも作っていた
一部署だったのですが、事業部化されたことで、ゲーム制作に専念できるようになりました。


──そんなminoriさんの転機となった作品として、「ef」シリーズがありますよね。

nbkz:この作品は最初から漫画・アニメ・ゲームの三本柱で動かそうと決めていました。
MANGAZOOに来る以前からの知り合いやら、その後出会った人たちを考えれば、
何らか複数のメディアを絡めた展開ができるんじゃないかと思っていて、
原作を作っておいて、漫画、アニメ、ゲームのそれぞれの特徴を活かした
方法論で世の中に出せないかなぁと。
早い時期で前後編の2本立てなることが決まっていたので、
それぞれのメディアで出す順番を効果的にやれないか相談して決めていきました。


──PCゲームでいえば第1部の『ef - the first tale.』は2006年12月、
第2部の『ef - the latter tale.』が2008年5月にリリースされています。
nbkz:時間がかかりすぎましたね。
最初の予定では後編は本当はもう1年くらい前に出す予定でした。
ですが、今見てもリッチな素材の使い方だなぁと自分でも思う通り、
とにかく素材が莫大な量になってしまい、やってもやっても終わらない状態になっていました。

妥協点を模索してもよかったんですが、開き直る方を選択しました。「もう、いいや」と。
とにかく金を使い切るつもりで作ろう、と。それでダメなら会社を辞めればいいや、と。
ところが『ef - the first tale.』を出す前後で会社の解散が決まってしまい、事業を引き継ぐか、
手仕舞いするかの二択になったんです。
引き継ぐにはそれなりの資本が必要ですし、
かといって、first tale.ほどの規模で作るには予算が相当必要なのもわかっていました。
テキストは全て出来上がっていたので、何らかの形で世の中に出して終わりにしようかなぁ
と考えていたところ、ここまでで知り合った企業さんが共同で出資してくれることになりました。
ほんと、無茶な金額だったので、まさに漢気出資。今でも感謝しかありません。


──そこで出資が集まるというのもすごいですね。

nbkz:アニメ化が決まっていたり、前編の実績というのもありましたけど、
今よりエンターテインメント産業の景気が良かったというのもあったと思います。
もちろん、出資して頂いた分以上のお返しはできたので、
お互い胸を撫で下ろせたのではないでしょうか(笑)


──その後、全年齢作品をリリースしていきます。

nbkz:『eden*』(2009年9月発売)は一般でパッケージを出して、
18禁パッチを当てるというのを最初から企画していました。
当時、将来的にギャルゲーもオンライン販売が主流になると見ていて、
その時に「非エロ」じゃないと売ってくれるところが無いんじゃないかと考えていたんです。
それに店舗を見ても、非エロのほうが置かれている期間が長い。
ならば非エロで出して18禁パッチを別途調達してもらうという方法がいけるんじゃないか、
と思って出したのが『eden*』です。
この作品はその後同じ方法でsteamで出して大成功して、
長いことminoriの屋台骨を支えてくれました。


──ですが、その方法は次の『すぴぱら#01』(2012年5月発売)で終わり、
同年12月発売の『夏空のペルセウス』から18禁パッケージに戻ります。

nbkz:そうですね。というのも、当初は一般ラインと18禁ラインの
制作ライン2本体制で行こうと考えていたんです。
ところが『すぴぱら』で予算をかけすぎて、そこそこ売れたのに赤字になるという
状況になってしまったんです。
これもパッチ方式は考えていたのですが、その制作もおぼつかないほど、追い込まれました。
でも、自社の内部留保を全部吐き出せば、すぴぱらへの出資も元金くらいはお返しできるし、
スタッフへの退職金も微々たるものですが出せそうな状態だったので、
ここで、会社を畳んでしまおうと考えていました。
それで、出資して頂いた各社さんにお詫びの報告に行きました。
すると「ちょっと待て」と。とりあえず、すぴぱらのリターンはいいから、
手元のお金でもう1本くらい作りなさいと。


──そういうピンチに助けが入ることがすごいですよ。

nbkz:というより、辞めることも許されない雰囲気を作られてしまったんですね(笑)。
それで『夏空のペルセウス』を作るわけですが、それまでより発売期間が短いでしょ?
これは早く作らざるを得なかったというのもあるんですが、
2ライン体制にしようとしていたので『夏空のペルセウス』の企画などは
早くからできていたからなんですよ。
もしも順調に進んでいたら、一般作(+パッチ)と18禁作を出して行く予定だったので。
34 件

関連する記事 こんな記事も人気です♪

この記事のライター

かいちょ かいちょ

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く